受験勉強レポート

合格体験記
K.N 頌栄女子学院高卒
  一橋大学商学部進学  2006.3.11.

私は一浪して一橋大学商学部に合格することができました。 いま、浪人してよかったと思っています。むしろ浪人せずにいたらと考えると怖いです。 というのは、浪人したおかげで行きたい大学にいけたからなのはもちろんなんですけど、勉強以外にもいろんなことを学ぶことができたからです。今考えるとこの一年は異常な年でした。寝るか、食べるか、勉強するかしかありませんでした。でもまあ私は80歳まで生きるだろうし、一年くらいこんな年があってもいいと思います。 浪人してからの一年はなんとかして一橋に受かろうと試行錯誤していたと思います。 大変だったけど充実していました。私がやって良かったとおもう事、失敗した事など、これから受験勉強をする方の役にたてればと思います。このままだらだらと書くと上手く書けそうにないので時間を追って書いていきたいと思います。

高三〜巖丈志摩に入る前 この時期のことは書いてもあまり意味がないし辛いので省きます。でも言える事はただ気持ちだけが焦りそのときしている勉強に身が入らず、そのせいで模試の成績も上がらず、またそのせいでさらに焦る・・・という悪循環に陥っていたということです。

浪人決定〜夏期講習前 巖丈志摩に入ったのは、高二になる妹が巖丈志摩に入ろうとしていて、母が巖丈志摩って浪人生の面倒も良く見てくれるらしいよと言ったことがきっかけでした。最初、浅野先生をみたときは生徒かなーと思いました。若さが前面に出てましたよ。(ちゃんと書いたよー)私は始め、現役の時に3つの塾をかけもちし自分の勉強とそれらの両立ができず、自分の納得できる勉強ができなかったので、宅浪しようとおもっていました。でもそのことを父に話したところ、一人で勉強するのは思ってる以上に辛いし、私には無理だと言われて塾に通うことにしました。その時、「他の人には無理でも私はできる」という気持ちがあり、父の言葉への反感もありましたが、今考えるとそれは真実でした。4月は皆やる気があるんです。でもそのやる気を継続させるのはかなり意識的にやらないと難しいと思います。私の場合、朝早くから夜一番遅くまで、ホントに一日中勉強し続けてるのかってぐらい頑張ってる人をみて自分もやらなきゃって思ったり、演習形式の授業で自分の出来なさを痛感したりして本気で勉強をやらざるを得ない状況に追い込まれていたのが良かったのだと思います。こういう環境を作ってくれるところが巖丈志摩のすごいところだと思います。もうひとつのすごいところは自分の限界を破ってくれるところです。例えば、これまで私は単語帳は一冊やるのが普通で、問題集は一日何ページってきめてちょっとずつやっていくものだと思っていたんですけど、巖丈志摩にいるとそれじゃ全然たりないって気づいたんです。単語帳は三冊やるのが当たり前だし、問題集は英語とかなら四日とかで終わらせたりしました。数学とかは一ヶ月とかかかったんですけど。早く問題集を終わらせることはこれから一年間勉強するにあたってのいい勢い付けになったと思います。ただ、一日中そればっかりやるんじゃなくて、二時間なら二時間って決めてやると効率がいいです。集中力が違います。後、問題集は一回通しただけじゃだめで、二回以上やって初めて身につくと考えた方がいいです。去年東大に受かった人が「本番で使えるのはそれまで何度も繰り返しやった事だけだ。」といっていましたが、それはとても的を得ていると思います。私は一年そのことを意識してやりました。分かってると思うことでも時間をおいてやってみると意外と出来なくなっています。飽きるまでやってみてください。 4〜8月は勉強量を重視しました。(私は人の二倍やらないと周りに追いつけない事が分かっていたので。)「量より質」とよく言われるけど、質ってなんだかよく分からないし絶対的な量は必要です。しかも、その難関校にうかるための量っていうのはかなりのものだと思います。巖丈志摩で一番頑張るつもりでいくといいと思います。 ここまでいろいろ書きましたが、私が本気で勉強を始めたのは7月の浅野先生との面接があったからです。記述模試の結果をみて面接をするんですけど、その時一橋大学がD判定で「次の模試でC判定以上じゃなかったら志望校をさげてもらうよ」と言われ本当にショックでした。後、いいかげんさが点数にでてると言われてドキッとしました。このままじゃヤバイ、なんとかしなきゃ、なりふりかまってられない(ここがポイントだったと思います。)と思いました。一橋大学に合格したのはこの心境の変化があったからだと思います。

夏期講習
8月の終わりにある記述模試で一橋大学B判定を目標に勉強の計画をたてました。まず、勉強一筋の体制にするために友達との会話をなくし、お昼も一人で食べ、家族との会話も必要最低限にして徹底的に自分を孤独に追い込みました。模試の日までに英、国、数、社の全範囲を終わらせるように計画表を書き、毎日のノルマを割り出して紙に書き、机において一つやりおわるごとに消していって全部やり終わったら家に帰るようにしました。夏期講習は必要な講座は全部取りました。授業と自分の勉強を両立させるのは大変でしたが妥協したくなかったので朝早く塾にいくなどしてこなしていきました。ほとんど演習の授業なので授業の復習はその授業後にささっと終わらせました。復習に力を入れるより授業中に集中して理解してしまうのが賢いやり方だと思います。この時期の勉強は科目別に書きます。

英語
単語力がなかったので電車の中や歩きながらDuoやターゲットをやりました。自習室では考える作業をしたかったので単語など暗記ものは基本的に通塾時間や家でやりました。やって良かったとおもうのは、英文の中から3センテンス抜き出して、暗記することです。こうすることで、長文読解が自然に読めるようになったと思います。後、単語は触れる機会が多いほうがいいので部屋の壁とかドアとかトイレ、お風呂に単語を書いた紙をはりました。とにかくどんな時でも勉強している環境を作りました。これらは浅野先生(29)がおっしゃってたやり方なんですけど、先生の話は良く聞いたほうがいいと思います。いろいろな生徒を見てきた経験に裏づけされているので役にたちます。8月の後半に入ると私大の過去問を解きはじめました。英作文の添削は4〜7月は私大の下線部の英語訳だけをやっていましたが、夏は一橋用の120字程度の英作文を書き始めました。

数学
数学は私の受験勉強の中心を占めてきました。現役の頃から数学が足をひっぱってきたので相当コンプレックスがありました。でも一橋は数学が出来ないと話にならないので夏の勉強の半分は数学に費やしました。8月上旬まで夏前からやっていた青チャートを二回繰り返しました。この時はまだ時間は気にせずじっくり考えながら解いていきました。8月中旬からは角田先生に勧めて頂いた駿台文庫の「実践演習」を解きました。これは理系向きの問題集ですごく難しかったんですけど、一日10題、一問30分までと決めて解いていきました。これはお勧めです。数学を勉強する時、すぐに答えをみるのは良くないと思います。いろいろな角度から考える、答えをだすプロセスが大事だと思うし、入試本番ではそういう作業が必要になっていくと思います。実践演習は9月までかかって二回繰り返しました。出来た問題は消していって二回目は一回目に解けなかった問題のみを解きました。元々得意ではなかった数学の勉強は結構辛かったので問題の隣とかに「がんばれ〜」とか書いて自分で自分を励ましつつやっていきました。 国語
現代文は瀧田先生の授業のみでしかやりませんでした。古典は現役の時にまとめたものをやり直しました。漢文は学研の早覚え即答法を二回繰り返しました。夏の国語の勉強の比率は軽かったです。

日本史
現役の時にやっていたにもかかわらず基本用語もしっかり書けない状態だったので、参考書で一回通史して、一問一答をして定着させていきました。後は問題集を一回通しました。日本史の用語も触れる機会が多い方がいいと思ったので紙に書いて壁に書いて貼りました。この時期家の壁が紙だらけになってた気がします。論述対策は先生から頂いた問題をといていました。

夏の勉強は今考えると辛かったんだろうけど、その時は結果を出さなきゃと必死になっていたので辛さはあまり感じませんでした。むしろ、段々勉強の成果が出てきて、皆が解けない問題とか解けるのが嬉しくて楽しさを感じていた気がします。入試では皆が解ける問題を落とさず、皆が解けない問題を何処まで解けるかだと思うのでこの感覚は必要じゃないかなと思います。 B判定を出すことを目標にしていた模試ではA判定を取り、成績優秀者に載ることが出来ました。でも、今まで自分の名前が本に載るっていう経験のなかった私は、名前の載る人は完璧な天才だけだと思っていたので、自信をつけるどころか自分ってこんなに出来ないのになんで?と混乱に陥り2週間くらい調子を崩しました。これは時間をむだにしてもったいなかったです。模試はしょせん模試でしかないけれど(やっぱり本物の試験とは違います)、自分の出来が形になって表れるものだし、定期的にあり緊張感を維持できるので、模試で結果を出すことを意識して勉強するのは悪くないと思います。また、目標は高いほうがいいです。だから、志望校は最後まで絶対に下げないべきです!それに先生とか家族とか周りの人に自分の目標を言うのもすごく効果があったと思います。口にすることで自分でも改めて意識できるからです。私は夏とか母に毎日といっていいほど「B判定とる!」とか「一橋に絶対受かる!」とか言ってました。


9月〜11月
夏期講習が終わり、通常授業が始まると夏よりも勉強のスピードが落ちました。その時は焦ったけど、今までの量をこなす勉強方法から取りこぼしの無いように定着しているかどうか確認しつつ進めていく勉強方法を意識していたし、過去問題をやり始めていたので焦る必要はなかったと思います。私大の過去問(英語)は夏の終わりぐらいからは始めていたほうがいいと思います。 9月には防衛大学校の試験があります。巖丈志摩では結構たくさんの人が受けています。女子人社型は倍率が200倍と聞いていたので受けるか迷ってました。でも、浅野先生に相談したところ「するかしないか迷ったときはしたほうがいいよ。」と言われたので受けることにしました。防衛大の試験について少し話すと、時間的にはきつくないのでじっくり考えて解くことが出来ます。また、マーク式と記述式のテストがあるんですけど、マーク式のテストはペンですべてマークするの(シャーペンはだめ)で知らないとちょっと動揺します。防衛大は受験料がタダなので試験なれの意味でも受けて時間の無駄にはならないと思います。一次試験に合格すると2次試験があってそこでは小論文と面接と身体検査があります。小論文は試験管が口頭でお題を説明するという珍しい形式でした。面接は三対一で結構緊張したけど、自分が誰を蹴落としても受かってやるっていう競争心を持ってた事が発見できたので受験勉強とは直接関係ないけど受けて良かったです。 防衛大の受験が終わると各予備校の大学別模試があり、その一週間前くらいから一橋大模試対策として過去問を解きまくりました。といっても、英語は記述の授業でやっていたので過去問はあまり解かず、国語も9月から瀧田先生に過去問の添削を受けていたので特に変化はありませんでした。ただ、数学は赤本に載ってる問題すべてを繰り返し解いたし、日本史もz会の出してる論述用の参考書を一冊終わらせました。私は数学にコンプッレクスがあったので一橋模試で数学の偏差値70近くを取れたことは自信になりました。この頃には数学を得点源に出来るようになっていました。やっぱり解いた問題の量がものをいったのだと思います。でも、駿台の模試でE判定がでてしまい途方にくれました。この時から私はショックだった分何とかしなきゃっていう気持ちをもってそれからの勉強に取り組めました。ピンチはチャンスです。まさにこの一年で私はけっこうポジティブになったとおもいます。落ち込むのは甘えている証拠です。落ち込む時間があるなら勉強しろーと自分に言い聞かせました。 わたしが皆さんにお勧めしたいのは先生方を最大限に利用することです。言い方は悪いんですけど。巖丈志摩の先生方はとても面倒見がいいのでとても協力してくれます。ただ自分から働きかけないと何もしてくれないと考えたほうがいいです。まあ当たり前といえば当たり前です。自分が合格するための勉強です。主体は自分です。私は他の受験生と差をつけたかったので一橋の数学の過去問15年分を先生から頂いたりしました。 あと、お勧めしたいのは出来る人の真似をすることです。勉強の仕方とか解答の作り方とか。私は国語がスランプに陥ったとき、あまり大声では(これは紙面だけど)言えないけれど、国語の出来るひとの捨ててあった答案とか拾って見てました。やっぱり出来るひとはやり方も良かったです。

大学別の模試がおわって少したったぐらいに、偶然、巖丈志摩の卒業生の人で一橋大生の人に会うことが出来ました。この人にあったことは私にとってとても有意義でした。講師室は用がなくても覗いてみるといいと思います。どんな勉強をしたのかとか随分しつこく聞いたと思います。一橋は日本史が難しいが何をしたかということを聞いたら、山川出版の「詳説日本史研究」を勧められました。結構分厚いんですけどこれはすごく良かったです。私大が第一志望の人にもいいと思います。私はこれを最終的に近世、近現代の章を三回通して読みました。けど、今考えると三回じゃまだまだ足りなかったと思います。

12月〜センター
私が本格的にセンター対策を始めたのは12月後半に入ってからでした。それは一橋はセンターの点数より二次試験の点数のほうが配点が高く、二次用の勉強をたくさんしたかったからです。でも私はそれまでセンター模試に合わせてセンター用の勉強も進めていたので間に合ったのだと思います。英語は文法問題は結構解いたんですけど、長文読解は現役の時ほとんど解いたのでやらずに直前に数題解いたという感じです。全体の時間配分をつかむためにz会の予想問題を時間を計って解きました。(でも問題自体はセンターのものとはちがってました)国語は平常授業で解いていたので5年分くらいしか解きませんでした。数学は赤本に載ってる問題をほとんど解きました。日本史は1年分くらいしかとかず(点数は良くなかったです)、倫理と地学は全て解きました。私は夏まで生物にしていたのですが、高得点が取れそうに無かったので、変えました。変えるのは結構悩んだんですけど結果的に9割取れたので変えてよかったです。センターの結果は87%で一橋の前期、後期のあしきりにもあわずにすみました。早稲田の法学部のセンター利用には落ちました。

センター後〜
センターが終わると一橋用の勉強(数学は後期の問題(確率と整数問題)にも手を出しました)の合間に私大の過去問をやるという感じでした。ただ私大は英語と国語はしっかりやったけど、日本史を軽視する感覚があったのでこれが早慶に結構落ちた理由の一つだと思います。



2月8日 立教大学法学部 合格
私は青学と明治大学のセンター利用を出しそびれたので立教を受けることになったんですけど、(早稲田とかより早いので気をつけてください笑)やっぱり最初の試験だったので緊張しました。ただ、古典の問題で上智の過去問と同じ文章を扱ったものが出たり、いつも受けている模試と同じ感じでした。

2月9日 上智大学法学部法律学科 不合格
この試験は8〜9割できたと思いながら、不合格だったのでなんとも言えません。が、上智は問題量に比べて時間が少ないので、圧倒的に判断力が問われると思います。過去問を結構やった方がいいと思います。あと、全て記号なので焦りすぎるとただ記号を選択してるだけになってしまう可能性があるので時間と相談しながらちゃんとその場で思考することが大事だと思います。
2月12日 学習院大学文学部 合格
この学校は気軽に受けられました。

2月14日 明治大学法学部 合格
この学校も立教と同じように模試みたいな感じでした。

2月14日 早稲田大学法学部 不合格
この学部はずっと模試でもずっとA判定で周りからも絶対受かるといわれていたので結構プレシャーがありました。試験当日、会場には一万人以上が集まるので異様な緊張感が出てきました。まだ日本史に不安があり、ずっと気がかりになっていたこともあり本当に自分なんかが解けるのかと疑心暗鬼に陥りました。不安要素はすべて払拭しておくべきだと痛感しました。例えそれが漢字だったとしても絶対にやっておくべきです。この試験で私が学んだのは当日の精神面や思考の仕方、解くにあたっての姿勢が一番大事だと言うことです。 試験の帰り道、自分の出来なさに泣きながら帰りました。それで、家に着き上智が不合格だったことを知りもうどうしようもなかったです。同日、防衛大の合格を知ったんですけど、ちょっとそれどころじゃなかった。でも、しばらくして早慶全滅したら防衛大に行こうと決心しました。この時その可能性はおおいにあったので、重大な決心だったんですけど、すごい絶望感の中で、人に言われて決めたのではなくて自分で決められたことがちょっと成長したかなーと思いました。

2月16日 慶応義塾大学法学部 不合格
前日までの気持ちを引きずって受けてしまいました。しかも、小論文の傾向が変わっていてまたまた動揺しました。また、日本史は今年(だけか分からないんですけど)の傾向的に文化史の比重が大きかったです。ほんとに穴を作らずまんべんなく勉強するべきだと思いました。

2月18日 慶応義塾大学商学部 合格
商学部は数学か小論文か選択出来るんですけど、「小論文だと0点ってことは無いだろう」という安直な理由で小論文選択にしました。あとで赤本を見てみると数学選択の場合の倍率は2倍であるのに対し小論文選択の場合は6倍で、失敗したとおもいました。ちゃんと調べてから選択するべきでした。でも、それで落ちてもともとだと思いプレッシャーを感じず腹をくくって受けられたおかげで合格できたんだと思います。英語も日本史も例年になく簡単で(過去問解いてないので分からないけど、試験会場でたくさんの人達が言ってました。)小論文で差がついたんだと思います。しかも、その小論文は数学をやってない人にとって厳しいものだと思うのでその点では、国立文系志望の私は有利だと思いました。あと一回問題を見たときに全く分からなくても、ねばって考えてみて、もう一度頭の中で問題を組み立ててみると解けたりします。よく言われるけどあきらめない気持ちが大切だと思います。浅野先生がよくおっしゃってたんですけど、解けないと思うと70%解けなくなるらしいです。

2月25,26日 一橋大学商学部 合格 一橋受験の前はホントに歩けないぐらい緊張して大変でした。会場の途中まで母についてきてもらいました。ホントに緊張してたんですけど、早慶の時と違っていたのはなんとか解かなきゃって思ったことと、完璧じゃなくていいから自分のベストを尽くそうと思ったことです。早慶のときは一橋に受かればいいやっていう気持ちがどこかにあったと思うし、8割は絶対とろうと思って自分の実力以上のことをしようとしていたのがだめだった原因だったのだと思います。最初は国語の試験だったんですけど、やっぱり本番の試験で大学で受けると倍難しく思えました。要約問題が毎年でるんですけど全然分からなくて5回ぐらい問題文を読み直しました。自分が難しいと思う問題は皆解けないんだと思うようにしたので、必要以上に思いつめないようにしました。次は数学だったんですけど、今年はすごく難化していたように思います。最初にどの問題から解くか決めるために全部に目を通すんですけど、解けるイメージがわかない。でも私は一年間、解けない問題に対していろんなアプローチをしてみる練習をしてきたのでそれを本番で生かすことができたのではないかと思います。二日目は英語と日本史でした。英語は今年易化してたと思うんですけど、英語に必要なのは設問に対応する部分を探し出す根気だと思いました。日本史は一橋は大問三題で120分なので時間は余裕だと思っていたんですけど実際違いました。やっぱり自分で解答をまとめて書くのは難しいです。しかも一橋は問題形式が特有なので過去問は同じのは出ないけどやって慣れておくべきです。私は日本史研究という参考書をやり遂げたのが一橋受験の前日とかだったのでそのおかげで全く手の出ない問題を作らずにすんだのだと思うのと同時に、もっと早くマスターしておけば早慶の結果は違っていたかなと思います。 一橋の帰り道では、頼みの綱は英語だけでしかもそれで他の科目をカバーできたとは思えなかったので落ちたかなーと思いました。でも自分ができることは全てやったと思えたので結構すがすがしい気持ちもありました。

次の日からはすぐに後期用の勉強にとりかかりました。小論はその日からすぐに瀧田先生に見てもらったりしました。その時は一橋に落ちたら防衛大と思ってたので切羽詰ってやってたんですけど、数日後に慶応商の合格がでてちょっと気が緩みました。いや、大分かもしれないです。それでも一橋をあきらめる気はなかったので小論は3年分、数学は8年分、英語は3年分くらいはやりました。やっぱり前期の結果が気になってあまり集中できませんでした。

まとめ
一橋の掲示板で自分の番号を見つけた時は側にいた妹に抱きついて泣きました。安心したのを覚えています。決して頭がいいわけではない私が志望校に合格できたのは、もう一回受験する機会をくれた両親、巖丈志摩を見つけることができた幸運、合格へ導いて下さった先生方、刺激を与えてくれた他の受験生など周りの力のおかげだと思います。受験生の人は勉強するときは自分がやらなくて誰がやるって思っててもいいと思うんですけど、時々は周りへの感謝をしたらいいと思います。各科目の先生方、マリさん(心配していただいていただきました。)、浅野先生(若さ)、高校の友達、お父さん、お母さん、ちな、はる本当にありがとうございました。最後に私が大好きな言葉と書いてしめたいと思います。「努力した人が全員報われる訳じゃない。でも合格した人はみんな努力している。」今年一年頑張ってください。