受験勉強レポート

合格体験記
M.G

先ず始めに、僕は合格「体験」記が嫌いです。
何故大学受験にもなって、体験なんて言葉を使うのでしょうか。小学生が、工場でお仕事を体験するみたいに、先生に先導されて受験してみました、というお子ちゃま感が漂っております。

僕は、自分で受験をしました。当たり前です。浅野氏(以降は若)に従う事は多かったものの、あくまで自分の意思で従ったまでで、若がいなければ到底合格したとは思えませんが、合格したのは若のお蔭だとも思っていません。自分の成績は、自分の責任です。この意識がない人に、合格は有りません。僕は自分で合格をし、その経験を記すだけです。このため、合格経験記、とさせていただきました。

具体的な勉強方法を書いても、参考になるようなまともな事はやっていなかったので、抽象的な話を主にしようと思います。なるべく理解と納得が行くように書きますので、少しでも何か伝わる所が有れば嬉しいです。

僕の勉強は5月下旬から始まりました。1月迄はソフトテニス、入れ替わるように5月中旬迄は運動会がありました。両方部長と副団長という重役で忙しく、勉強する気もしていなかったので、有意義な生活ではありましたが、学力的には崩壊していました。授業で扱う問題の内、解けた問題は2割ほどだったと思います。 しかし、先生方の話が分からないわけではありませんでした。勉強が足りないことはわかっていたので、何よりも解説の理解だけは死守しなければいけないと思っていました。

巖丈志摩で良かったのは、恥を棄てられる場所であったことです。ダメな開成生を見てきている若のお陰で、間違えることは間違っていないと思うことが出来ました。 その代わり、授業の聞き方や復習の仕方などの態度をよくすればよかったのです。間違いを恐れ授業に消極的では0歩、間違えに行って1歩、間違いを直して2歩です。

巖丈志摩に来てまで消極的でいるなら、他の塾いったほうがいいです。来るもの拒まず、去るもの追わずの塾ですから、迫ってこない、授業を聞きに来てる人に対して、巖丈は冷淡です。先生方も忙しいし、質問する権利を自ら捨てている生徒を、なぜわざわざ教師のほうからかまってあげる義理があるでしょうか。 受験でいい人である必要はありません。真面目である必要もありません。何より重要なのは、自分が合格することです。受験で受かるのも落ちるのもあなたしかいないのです。先生と話すのが苦手で、自分で5時間考える真面目くんの努力は、先生に質問して5分で解決する人の、1/60しか無いと言われても、仕方がないのでありんす。逆も然りですが。

ここで、効率の話をしたいと思います。

特に時間の無かった僕は、最短距離を進むしかありませんでした。しかし、最短距離で行くと縛られたのが良かったのかもしれません。全てにおいて自分の合格を優先させることが出来たからです。

結局、最短距離を進めなければ、大学に受かる気が無いのと同じです。どこかで諦めや妥協があるのでは無いでしょうか。僕はソフテを勝ち残りのため1月まで続けると決まった時から、受かる気しか無かったし、自分に不合格を許しませんでした。もし東大に落ちたら、自分にとって最高の経験であったソフトテニスが、不合格の言い訳に使われてしまうからです。だから、何としても落ちるわけにはいきませんでした。何個も大学を受ける人は、この覚悟が足りないのではないでしょうか。

妥協してする受験は、泥の階段を上るようなものです。3段上る間に2段沈んでいるのです。自分の基盤が固まってないから、勉強に溺れていくのです。志望校が曖昧なほど、その階段は横にひろがり、高く積み上がるのが遅くなります。 覚悟の決まった人のコンクリートの階段は、固まるのに時間がかかっても、2段着実に登りさえすれば、泥の倍のスピードだということがわかるでしょうか。しかも、東大一本なのだから、文字通り線一本で自分と目標を繋げます。これがどれだけ無駄が無いことか、わかるでしょうか。多くの人に、驚異的に伸びたと言われましたが、実質僕はコンクリートを選んだだけなのです。

基盤の硬さは知識定着度、理解度に表れます。恐らく僕は、授業で扱ったことで、理解していないものは無いでしょう。自習は足りませんでしたが、授業で扱うことのほうが重要だということは自明でしょう。 逆に、どんなに勉強しても理解していなければ、地盤はぬかるみ、不安や緊張のせいでズブズブ沈んでいきます。逆境は跳ね返すものです。負けたら負け続けます。しっかりと足を踏ん張るために、深い理解とそれに基づく自信が必要なのです。

自信繋がりで、ちゃんと自分の成績は正確に把握しましょう。過小評価なんてもってのほかです。何のメリットが有るのでしょうか。志望校までの距離も測れず、不安になるだけなのは、無意味です。気持ちに負けて志望校に受かる気を無くしてるだけです。

自分の成績の低さを話題にする人が多いですね。論外です。僕は恥ずかしくて悔しくて仕方ありませんでした。こんなんで東大受かる気なのか、と笑われてる気がしました。悔しく思わなかったり、諦めてる人は、自分の成績という唯一まともに数値として見られる結果を直視出来ないのですから、自分を自分で認めていないわけです。受験、やめたほうが良いですよ。落ちても逃げるだけだと思うんで。

僕は、夏頃に自分が東大に落ちた瞬間を想像していました。掲示板に番号が無かったとき、僕は泣けるのだろうか、と。「まぁ、そんな気がしてたよ。」とか言いそうで、そんな自分が嫌になりました。「運動会まで大変だったし。」「割と頑張ったよ。」etc…そんなクズには成りたくないと思いました。納得してどうするんだ、やっぱり行く気無かったんじゃないか。所詮その程度の気持ちか。そんな受験なんてしたくないじゃないですか。

自分からは逃げられません。だったら、勝つしか無いじゃないですか。 今の僕なら、落ちたら泣けていました。自分に自分を認めさせられるだけの事は出来たと思いました。

自信とかプライドが、傲慢のように扱われるこの世の中が間違っています。自信が無ければ勝機を逃します。プライドがなければ圧力に耐えられません。この二つは、自分の力なのです。自立の為の足となるものです。足元が覚束ないのでは、受験に即ノックアウトされてしまいますよ。謙虚のパイオニアとも言える佐々木先生(巌丈をお辞めになられても、僕の永遠の先生です)でも、高いレベルの人達と対等に話したいという強い気持ちから、あの様なお方になられたわけです。


もう少し、技術的(若達先生の話は全て目を見て聞くとか)な話もしたほうが良かったかもしれませんが、僕が全て正しい訳ではありませんし(自分ではそう思っていますが)、何より自分で考えてもらわないと意味がありません。各個人にそれぞれの正解があるはずです。これだけ暗い話をしたのも、この文章は読まれることに意味があるわけではないからです。何かしら貴方の心に影響を及ぼせたら、書いたかいがあったというものです。

最後に心について述べて、この合格経験記を終えようと思います。

僕は、非常に意志が弱いです。やったほうがいいことを、悉くやって来ませんでした。自律という意味では、僕は最低ランクに位置しているでしょう。巌丈の自習室でずっと勉強している人は本当に凄いと思うし、これから自分が目標にすべき姿だと思っています。 しかし、僕は非常に意思が強いです。自分の一番の特徴を挙げるならば、負けず嫌いだと答えます。
東大を、強い「志」を持って受けたわけではありません。この為、自分は全く真面目では無いのでしょう。
その代わり、東大合格に向けての強い「思い」がありました。この意思を最後まで貫き通した受験だったとおもいます。
貴方も、漢字通り自分の心に支えられた芯を持つようにしてください。


もし具体的な内容を聞きたかったり、クレームが有れば若を通して伝えてください。呼ばれたら行きますよ。
また、この場を借りて、僕に火を灯し、好き放題させてくれた巌丈志摩に、感謝を伝えたいと思います。ありがとうございました。生涯生徒です。


. 言い訳:ホントはもっと理路整然としてたんですよ。脳みその中では。すいません。浅い考えの為小学生みたいな混沌になってしまいました。兎に角考えてほしいのは、外野の事でなく、自分自身の事です。大学受験以上に自分を優先にすべき機会は、後にも先にもやってこないと思います。それだけの重みが受験にはあると思います。落ちて人生が変わるわけではありませんが、妥協すると人生は変わります。あなたの心の中に勝ちたいという気持ちが少しでもあるのなら、その思いを裏切ってはいけません。今でも十分間に合います。人が変わるのに遅いも早いもありません。変わりたいと思った時をゴルゴ13のように狙い撃ちしてください。能力は関係ありません。自分の意思という才能を信じて、悔いのない受験生活にしてください。

お分かりいただけただろうか。
違和感を見過ごさず、あれ?と思ったら別の角度で見てみてください。
物の見方なんて、誰かに強制されているわけではないのですよ?
楽しく生きましょうね。